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美しい絵はだをもとめて

July 17, 2013

神奈川県立近代美術館 鎌倉
松田正平展 生誕100年 陽だまりの色とかたち
 

 
1913年島根県鹿足郡青原村(現・津和野町)の町に生まれ、山口県宇部市の松田家の養子となる。東京美術学校卒業後、24歳。戦前の1937年パリに渡り明くる年、コローの「真珠の女」を模写している。

佐伯祐三がフランスで他界した10年後の事である。同じ藤島武二に師事し、15歳年下の松田は、佐伯祐三の存在を知らなかったはずはないだろう。二人の画家の研究姿勢、視点は異なっている様に感じられるものの残された言葉の共通項も幾つか見いだされる。例えば「この絵は、日本の部屋には大きすぎる」と言った日欧の居住環境の違いに言及しているあたりは自作を最初から日本に持ち帰るつもりで描いていたのかもしれない。あるいは常に日本での生活を思い描きながら、異国での制作は「学び」の姿勢であったのだろうか?
 

 
松田は、パリ時代コローの奥深い色彩に惹かれ重厚な色彩の模写を行い。そしてベルナール・ビュッフェの鋭敏な線描と明快な色彩が、その後の表現に大きく影響を与えた。そしてもっとも注目すべき絵はだは、フレスコ画の様な肌あいを求め、油絵の具の重ねた画面をカミソリの歯で削り、また重ねるといったかなり大胆な手法を取っている。繰り返し同じモチーフを描き、戦中、戦後の厳しい時代から高度経済成長期。その後の日本を飄々と風の吹くままに生きた松田正平という画家は、2004年 91歳で他界するまで飽くなき自己の好奇心に素直に向かった。

 

 

 
現在、私の様なモノがこの画家の描く日常の中の「美」を見つめる優しさに共感するのは、時代に流されず、描くと言う行為に常に新鮮な気持ちで取り組んだ姿勢が与えてくれる「勇気」なのかもしれない。
 

 

 
2013年 9月1日(日)まで
 

素晴らしい絵に出会った翌日、私はオートバイで三浦半島を一周し神奈川県立近代美術館葉山館にて 戦争/美術1940ー1950 モダニズムの連鎖と変容 展を堪能、城ヶ島公園にて海を眺めながら、おむすびなどを頂く。むくむくとまた「何か」が沸き上がってきた。アトリエに戻る。

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